生駒山系に連なる金剛・葛城山系の主峰『金剛山』から始めた山登り。その時々で気になる山へ、気の向くままに・・・

山の伝説:金剛山の東側にある「蛇谷」とは? 

暗闇はどうして人の心を恐怖におとしめるのだろうか。
すべての超常現象は科学で証明できると思っているほうなので、
慣れた勝手のわかっている金剛山では、最近特に暗闇での山歩きに恐怖感が無くなってきた。
伝説と聞くと夜と山が関わってくるように思うのは自分だけ?
山というと太古の昔からその姿形はかわらず、数々の歴史や伝説を残してきたことと思う。
さて、そんな山の伝説に関する新聞記事の中で、金剛山に「蛇谷」という所があると書かれている。
それは果たしてどこの谷を意味するものなのだろうか。


山の説話、漫画で伝承―漫画家とよた時氏(文化)
2011/07/12 日本経済新聞 朝刊 40ページより引用

 世は登山ブーム。だが山の伝説や民話に興味を持って登る人はあまり見かけない。
登った先で出合う石仏や祠(ほこら)、峠や沢の不思議な名前など、
興味を持って調べてみると、そこに山岳の別の表情が浮かんでくる。
 そんな楽しさを伝えたくて、登った山や峠にまつわる伝説、民話などを調べて絵はがき大の漫画にし、
文章を添えて、毎月のように知人や登山仲間に送り続けている。
題して「山旅漫歩イラスト通信」。
初号を出して今年でちょうど40年。月に2通も3通も送ることもあり、この山の便りは現在850号を突破した。
 20歳のころに登山を始め、本格的に登りだしたのは1970年代。
30歳を過ぎてからだ。それまでも仕事として本や雑誌で山に関する漫画やイラストを手掛けていたが、
特技を生かしながら自分の仕事の見本としてもらうことも期待して、イラスト通信を始めた。
 〓 〓 〓
 最初は大菩薩峠
 この通信で最初に山を手掛けたのは、大菩薩峠(山梨県)だった。
4月初旬、まだ幼かった子供2人を連れ、家族で登ったが、途中から吹雪になって大変だった。
それでも、ここにある「石丸峠」の名の由来が、子授けの神として信仰された石の魔羅(=男根)ではないか
という説があると知り、峠道のイラストに文章を添えていろんな人に勝手に送りつけた。
 これが意外と好評で、数号続けるうちに「切手代を出すから毎号送れ」というファンも現れた。
送付先は最も多いときで500人。当時は今のように便利なパソコンのプリンターはなく、
簡易プリントにいちいち色づけするのに骨が折れた。
 伝説や歴史の正確な内容を調べるのも大変だ。
地元の教育委員会に尋ねたり、国会図書館で古い地誌を調べたり。
30キロ近い荷物を背負っての登山から帰った後は、しばらく腕も足も力が出ず、その中での作業になる。
 〓 〓 〓
 数多い鬼・天狗伝説
 各地の山には無数の伝説が今も生きている。立山連峰の西にある鍬崎(くわさき)山(富山県)には、
厳冬の飛騨・立山越えで知られる戦国の武将、佐々成政が数百万両の軍資金を隠したとされる埋蔵金伝説がある。
これを探して一生を棒にふった人もいると聞いた。
私も登るとき、地元の人に冗談半分で「隠し財宝を探しに行く」と話したら、「危ないからあんまり深入りするな」と心配された。
 意外と多いのが、鬼や天狗(てんぐ)の伝説だ。
岩手富士として知られる岩手山(岩手県)には、かつて大猛丸(おおだけまる)という鬼が棲(す)み、
それを坂上田村麻呂が八幡平に追いつめて退治した伝説がある。
私の住む千葉にある鹿野(かのう)山にも、かつて阿久留(あくる)王という悪鬼が住み、
ヤマトタケルに倒されて八つ裂きにされたという。
 多くの鬼は先住民を象徴しているが、征伐された背景にはその土地での金や金属の産出が関係していたとする説もある。
実際、鹿野山では製鉄会社の人たちが阿久留王を鉄の神とあがめて熱心に供養していて驚いた。
 北アルプスの黒部川源流にある「カベッケが原」(富山県)に行ったときのこと。
ここは昔から山に入った地元の人がよく河童(かっぱ)の姿を目撃しているとされる。
カベッケとは「河童が化ける」を意味するそうだ。
私も河童に出合えないかと期待し、近くの雲ノ平にテントを張って、黒部川のつり橋を渡ってカベッケに行った。
 〓 〓 〓
 1000以上の山踏破 人っ子ひとり見あたらない湿地帯で、
見渡す限り人の背丈より高いササや草が一面に生え広がっていた。
河童にまつわる目印や碑はないかと草むらをかきわけて歩いていると、登山者のやってくる気配がする。
あいさつしようとがさがさ音を立てて藪(やぶ)から顔を出した瞬間、相手は後ろを振り向きもせず一目散で逃げ出した。
河童と間違われたのか。案外こんなことが語り継がれて伝説になるのかもしれない。
 70歳を過ぎ、これまで踏破した山は1000以上にのぼる。
しかし、まだまだ行ってみたい伝説の地は数多い。
例えば奈良の金剛山の東側にある「蛇谷」。
山と山に岩の橋をかける際に鬼として使役された一言主(ひとことぬし)の神が、
行者の怒りにふれて葛の蔓(つる)で縛られ、
置き去りにされて黒蛇になった谷だという。
登山ルートがないため近寄れないが、見られるものならその谷底を見てみたい。
 目標は1000号。現役で山に登り、便りを届け続けるため、日々鍛錬を重ねている。
私は言い伝え的なものが残る山が好きで、独り歩きながら
そんなことを思い返しています
例えば女人禁制であった奥駈道も、十津川村に花嫁を
迎えるときだけ人の通れる幅三尺、女性が歩くことを
許された嫁越峠なんて歩くと、往時の花嫁の姿が浮かぶ
ような・・・
金剛山に蛇谷ですか、いいじゃないですか、そんなのも。
[ 2011/08/05 09:57 ] [ 編集 ]
年末の納山会の下山で横切りませんでしたっけ?
朝原寺跡道の近くにある谷だと思います。

あと、あの道には鉄山→と看板がありましたが
どのピークの事なんでしょう?
奈良側は歴史がある道が多いと感じます・・・
[ 2011/08/05 14:22 ] [ 編集 ]
※同じ記事が2つ上がっており、ご迷惑おかけしました。

>[ 2011/08/04 22:30 ] arajin
>蛇谷・・渡ったことありますよ
>私の記憶が正しければ、
>朝原寺道の尾根を下りてすぐ右の谷が、確か蛇谷って言ったと思います。
>百々川のすぐ北隣りの谷です。
>そんな伝説がある谷とは知りませんでした。

地図で確認してみました。
朝原寺跡の道を歩いたときに跨いだような感じですが、
印象に残っていません。
なにか歴史的なオブジェクトがあったりするのかどうか気になるところです。
[ 2011/08/05 17:48 ] [ 編集 ]
※同じ記事が2つ上がっており、ご迷惑おかけしました。

[ 2011/08/05 01:22 ] おの@あびこ
>たしかに山と高原地図にも「蛇谷」って谷がありますね。
>連絡をつけて一緒に行ってみてはいかがでしょう?

山と高原地図をよく見ると確かにありました。
そして、過去に一度だけ朝原寺跡の道を歩いたときに
跨いだかもしれませんが、あまり記憶にありません。
[ 2011/08/05 17:48 ] [ 編集 ]
非常に興味深いお話をありがとうございます。
「嫁越峠」ですか。
よくご存知ですね。
調べてみます。
ありがとうございます。
[ 2011/08/05 17:49 ] [ 編集 ]
昨年末の納山会下山では、朝原寺跡のところを関谷道に曲がりましたが、
横切るとしたらもう少し下のほうではないでしょうか。
これはもう蛇谷を遡行しないと全容は理解できませんね!
[ 2011/08/05 17:49 ] [ 編集 ]
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プロフィール
こんちくわ。
キバラー
と申します。
ほぼ毎週金剛山をメインで
登っています。
飽きっぽいのか色々やってきて
自転車→オフロードバイク→
大型バイク→登山へと変化し、
その間、
テニスやスキーにハマった数年間。
キャンプは今でも細々と。
今は山に全力で年中夢中
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