生駒山系に連なる金剛・葛城山系の主峰『金剛山』から始めた山登り。その時々で気になる山へ、気の向くままに・・・

厳しさと優しさを兼ね備えた山「槇尾山」 

20101004-1.jpg

槇尾山?槙尾山? 大峰と大峯のようにどちらでも間違いではないのかな?

新聞記事中では標高が602.5mとなっているが、
最新の山頂に建てられていた標では601mとなっていた。
山と高原の地図では600mちょうどとなっている。
どれが正しいのやら。
だいたいそんなに正確に高さを測れるものなのだろうか。
GPSや自慢の高度計では10m以内の誤差なので、
個人的には10m以下の差はどうでも良いと思っている。

さてその槇尾山、いったいどんな歴史があって、
どういう山なのかを伺い知ることができる記事がありました。

現在のお休み処である「ゆたか茶屋」は、最近主人が交代され、
槇尾山を愛してやまない方が後を引き継いでおられます。
先日は、そのオーナーが槇尾山で泊まられた夜に大きな「ムササビ」をたくさん見た
という話に聞き入ってしまいました。
気さくでとても良い方でした。


【大阪の霊峰(2)】槙尾山 厳しいが、やさしく懐かしい気持ちに
2005/08/02 産経新聞 大阪夕刊 10ページより引用

 大阪府和泉市の最南部にある槙尾山(標高六〇二・五メートル)には、
奈良時代末ごろにすでに「茅渟(ちぬ)の山寺」という寺があった。
 十四世紀ごろの「槙尾山大縁起」によると、現在の山の中腹に建っている施福(せふく)寺の前身となる
「槙尾寺」は、欽明天皇が発願して行満(ぎょうまん)上人が建立したことになっている。
行満上人が和泉国和泉郡で出会った老人の住む所に行って七日間過ごしたとき、
不動明王の光が西を指す夢を見た。
上人が行ってみると霊窟があり、そこで修行をした。
その後、上人が祈祷(きとう)で欽明天皇の悩みを解決したので、この地に槙尾寺が建立されたのだという。
 初めて訪れた槙尾山は、古くから信仰を集めていた山にふさわしく静かで厳かな雰囲気に包まれていた。
 駐車場で車を降り、コンクリート舗装された急な坂道を登ると仁王門が現れた。
両脇から仁王がにらみを利かせている。
 お参りを済ませて下山してきた奈良県吉野町の北村公秀さん(六三)、昌子さん(五八)夫婦と会った。
時間を見つけて西国三十三所めぐりをしているという北村さん夫婦は「古い由緒のあるお寺ですね。
歩いてみて大変な山道でしたが、大変なほどありがたいように感じます」と話し、またゆっくりと下っていった。
 仁王門を過ぎると、道は一気に狭まり、山の気配が濃くなる。
歩く上を鮮やかな緑の葉を茂らせた木々が覆い、道端には苔(こけ)むした巨岩がころがっている。
空気がひんやりと肌に感じられる。
 急傾斜の石段状の登り道の連続。足が重くなってきたところで一休み。
斜面の脇にころがっていた倒木に腰を掛け、一息ついた。
辺りには樹齢百年以上と思われる杉の大木が林立し、足の疲れが一段落するとともに、
心がシンと落ち着くのがわかる。
 再び登り始め、しばらくするとこんもりとした茅葺(かやぶ)き屋根の小さなお堂が見えた。
弘法大師が出家するために剃髪(ていはつ)した跡に建つというこのお堂は、
茶色の茅葺き屋根に木漏れ日を輝かせ、なつかしさを感じる。
 向かいには、剃髪した髪の毛を納めたという御髪堂もあり、槙尾山も弘法大師とゆかりが深い。
事実、弘法大師は唐から帰国した後一時、和泉国にいたという。
修行するために槙尾山にいた可能性は十分あるのだ。
 石段をやっと登りきると施福寺の本堂が現れた。
山の上にあると思えないほど大きな建物に驚く。
周囲に植えられているのはモミジらしく、紅葉シーズンには多くの参拝者が美しさに見とれるという。
 大阪府松原市から来た小林昭平さん(六〇)と和喜子さん(五九)は、
和泉市内の公園で偶然目にした観光マップで施福寺を知り訪れたといい、
「ここを訪れたのをきっかけに、西国三十三所めぐりを始めようと思います」と話していた。
 夏は参拝者は少なくなるというが、にぎやかなグループ、一人でのんびり山歩きを楽しむ人…。
次々に登ってくる。
 境内のお休み処で三十四年間働いている中出愛子さん(八〇)は
「年をとって登ってくるのはやっぱりしんどい」と言いながらも、
「ここは下より四度は気温が低いんですよ。常連さんも尋ねてくれ、話をしていってくれます」
と参拝客を元気に送り出していた。
 今も多くの参拝者を迎えている槙尾山。
厳しいが、どこかやさしく懐かしい気持ちにさせてくれる信仰の山だった。

 ■槙尾山■
 役の行者小角が法華経を書写し、葛城の峯々に安置、
 そのうちの巻尾をこの山の如法峯に納めたことから「巻(まき)の尾」の呼び名がおこったという。
 一時は970あまりの坊舎が立ち並んでいたといわれているが、
 織田信長の兵火にかかって一山が灰燼(かいじん)に帰し、
 江戸時代になって再興されて80あまりの坊舎が見られたという。
 【写真説明】(右)
 木々に包まれ、緑豊かな槙尾山の登山道。ひんやりとした空気が気持ちいい
 【写真説明】(左)
 急な石段を登りきると現れる施福寺の本堂

※写真は引用しておりません。
Check [ 2010/10/04 21:49 ] その他の山 | TB(0) |   コメント(2)
こんな5年前の記事、どっから探してくるんですか?

この記事に出て来る中出愛子さんが茶屋をやってらっしゃった頃、
何回かここでうどんを食べ、ビールを飲みました。
ある日、三国山から桧原越の稜線をとおり槇尾山へ下山の途中、
十五丁石地蔵の辺りでどしゃぶりの夕立に遭い、
ずぶ濡れになって茶屋に飛び込んだことがありました。
この時、茶屋のおかみさんにタオルを借りるなどお世話になりました。

施福寺の参道や滝畑へ向かうダイトレの途中にも、あちこちに石垣で囲まれた平坦地があり、
おそらく多くの寺坊が建っていたことが偲ばれます。
[ 2010/10/05 07:08 ] [ 編集 ]
いろいろ調べてみると見つかります。
足掛け5年近く槇尾山を徹底的に歩かれたとかで、
arajinさんの槇尾山への思い入れの熱さは
一緒に登っていてとても感じましたゆえ、
自分も不勉強のままではいけないと思い、
いろいろ勉強しております。
桧原越の稜線を三国山からとは長距離ですね。
中出さんがいらっしゃる頃の貴重な思い出もお持ちなんですね。
滝畑から施福寺のダイトレの途中のあちこちに石垣ですか。
80から宿坊があったとは驚きです。
現在は近年建てられたものの廃屋になってしまった一軒だけ?がありましたね。
歴史由緒ある貴重な山なんですね。
とても参考になりました。
[ 2010/10/05 23:20 ] [ 編集 ]
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ほぼ毎週金剛山をメインで
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飽きっぽいのか色々やってきて
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キャンプは今でも細々と。
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