生駒山系に連なる金剛・葛城山系の主峰『金剛山』から始めた山登り。その時々で気になる山へ、気の向くままに・・・

金剛山と楠木正成 

楠木正成という名前は昔から知っていた。
それが金剛山と関係があるのは、最近知ったところだ。
個人的には歴史の類は苦手で、どこまでが真実なのかわからないものに
興味も持てないというのが本音であるが
いままで取り上げてきた記事の中では、より詳しくてわかりやすいと思い
引用させていただきました。


千早赤阪村を訪ねて、正成の生き方しのぶ――険しい山道と絶壁(アーバンNOW)
1991/05/23 日本経済新聞 夕刊 12ページより引用

 日本歴史上の人物で楠木正成ほどなぞに包まれた英雄はいない。奇策、知略を尽くして
数万の鎌倉幕府軍をほんろうした千早・赤阪城の合戦は有名だが、出自も末えいも定かで
はない。その分、「忠臣楠公」のイメージが膨らむわけで、「太平記」の舞台となった大
阪府千早赤阪村にはいまだ楠公のロマンが息吹いていた。(高尾建博記者)
 千早赤阪村には楠木正成の城跡が三カ所ある。下赤阪城、上赤阪城、千早城だ。
 後醍醐天皇の笠置山挙兵に呼応して兵を挙げたのが下赤阪城。現在は村立千早赤阪中学
校の裏手に城の石垣の一部が残り、石碑が建っている。以前は訪れる人もまばらだった
が、NHKの大河ドラマの影響で観光客が押しかけるようになった。
 上赤阪城跡は、レンゲ畑の農道から険しい山道を約三十分も登った小高い山の上。杉木
立と崖(がけ)を縫うような山道は地表をはう木の根っこが階段代わりだ。草いきれの山
頂には「上赤阪城跡」の石碑が建つだけ。
 絶壁をはい上がろうとする幕府軍に対し、楠木軍が上から大石、丸太、熱湯を見舞い、
油攻めにしたことで知られる千早城は金剛山の登山口近く。金剛山の支峰にある城跡に、
石碑と千早神社が建っている。草木が生い茂る絶壁を上からのぞくと、悲鳴をあげて落ち
ていく幕府軍の兵士たちの姿が目に浮かぶ。
 延元元年(一三三六年)五月二十五日、楠木正成は今の神戸市にある湊川で、足利尊
氏、直義兄弟軍を迎え撃ち、敗れて自決した。合戦に赴く前、楠木は後醍醐天皇に「足利
尊氏と和睦(わぼく)し、新田義貞を討伐すべし」と諌言(かんげん)し、帝の怒りを買
ったという。
 南河内の豪族だった楠木正成には時代を読む先見の明はあったが、決して政治家になろ
うとはしなかった。愚直なまでの忠誠心。そして変幻自在の戦ぶり。そこには日本人が引
かれてやまない壮烈な滅びの美学がある。
 NHKの大河ドラマの舞台となった場所は、にわかに観光地となり、派手な宣伝で俗化
していく。千早赤阪村もささやかにキャンペーンを展開しているが、古い神社と石碑しか
残っていない山里は、かえって正成のいちずな生き方をしのぶのにふさわしい舞台だ。今
にも崩れ落ちそうな史跡に立つと目の前を楠木一族が風のように駆け抜けていく錯覚に陥
る。
 五月十九日、千早城では「楠公祭」が催された。祭りといっても、千早神社の神事と城
跡での地元住民の運動会だけ。老いも若きも一緒にはしゃぐ村民の歓声は、戦の勝ちどき
のように金剛の山々にこだました。
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プロフィール
こんちくわ。
キバラー
と申します。
ほぼ毎週金剛山をメインで
登っています。
飽きっぽいのか色々やってきて
自転車→オフロードバイク→
大型バイク→登山へと変化し、
その間、
テニスやスキーにハマった数年間。
キャンプは今でも細々と。
今は山に全力で年中夢中
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