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山は歩くだけじゃもったいない。その時々のナニカを発見し記憶の定着のためにカメラを持とう。

高取山(高取城址) (2019.1.12) 

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高取城址にて

日本最強の城に、圧倒された

【ルート】
 高取町観光駐車場-武家屋敷-水車小屋-黒門跡-七曲り-一升坂-
 岩屋不動尊(立ち寄り)-猿石-ニノ門跡-国見櫓跡(立ち寄り)-
 矢場門跡-松ノ門跡-千早門跡-大手門跡-本丸-七ツ井戸-(林道)
 -壺阪寺-駐車場


高取城趾とは

昨年12月15日のことである。
金剛山に登った後、二座目ということで山登りがメインなので
正面正攻法である城下町歩きを避け、いわゆるバックヤード的な
壺阪寺側の五百羅漢近くの登山口より入山。
高取城趾というと紅葉シーズンに軽くハイキング程度に歩く
というイメージを持っていただけで、城跡には石塁が少し残ってるだけの
山なのか公園なのか何なのか、山登り的なボリュームはあるのか?という
中途半端なところじゃ?という疑問が先行してしまっていたので、
今回も二座目に設定するなど冷やかし程度にと思っていた。
ちなみに、どうやって設計や建設をしたんやろ~ってところに関心はあるが、
城や寺社仏閣自体にはほとんど興味がない。
五百羅漢でいきなり分岐があり、さらに奥の羅漢像があるところを通って
枝道多数確認できる植林帯の中を忠実に歩く。
舗装林道に一瞬合流するも再び山道に入り、壺坂口門から入城した。
本来、着いたと表現するところが、入城という言葉のほうが正しいように思えるから不思議だ。
そんな威圧感のある佇まいであった。
高取城は壺坂口門あたりから上に存在していたのではないということが
奥に入るに従って明らかになってくる。
「なんだこれは!!」と呆気にとられる、他を寄せ付けない石塁の規模である。
しかもそれらがゆっくりと時の流れに飲み込まれるよう、
半ば手付かずの状態のままで静かに風化していっているような
城跡自体が何か物言いたげなオーラが漂いっぱなしで、
こんなにも自由にほったらかしでええの?とさえ思えた。
つまり何の保存も保護もされていない、自然のままの状態に近かったのが
より印象を強いものにした。
城というと大阪城はもとより、松本城、彦根城、名古屋城、岸和田城、
竹田城跡などなど興味はなくとも行ったことがある城の数は枚挙にいとまがないが、
想像をここまで裏切る山城が、しかもこんな近くにあったなんて。。
行ってみないとわからない典型的な例になってしまった。
そんなこんなで、これはもう一度きちんと城下町から歩くべきだと思い、
持てる撮影機材を総動員して出直そうと思っていたところ、
折しも昨年末、たまたまテレビを点けたところに
「あなたも絶対行きたくなる!日本「最強の城」スペシャル」
なる番組がやっていて、今回の高取城が第1位に輝いたのだ。
これは大挙してお城フェチの方々が訪れるんじゃないか、
そうなるとゆっくり撮影なんて無理だよなぁ。
さらには、あのへっぽこ登山さんもこのタイミングで。(≧∇≦)
そういうわけで少し控えめに、動画の一部を切り出したような表現の写真に徹した。
あ、ちなみに城下町も古き良き懐かしい趣があって良かった。

そんな今回の写真は以下より。(多いよ~)

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高取城図  圧倒的スケールだ。 ※高取町観光ガイドより引用

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観光駐車場付近にあった高取城CG再現図

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時計回り周回(GARMIN GPSログ)

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高取町観光駐車場に駐車させていただいた

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松ノ門のレプリカ

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築100年以上経ってそうな民家

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水車小屋

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地域の回覧ポストのようなもの

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ぶどうの房のようなのが鈴なりの木

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宗泉寺へと続く舗装路

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黒門跡を過ぎてすぐのところ

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ふと右上を見上げると・・

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覆いかぶさってきそうな植林

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舗装路は宗泉寺(右へ)へ

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舗装路と分かれていよいよ山道へ

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文化財指定 昭和二十八年とある

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七曲り

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枝打ちがされず放置されて薄暗くなった植林帯(右側)

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このあたりから雨音が落ち葉を通じて聞こえてくる

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石塁があちこちに見受けられる

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一升坂

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近いようで遠いような120m先の外れに岩屋不動があるというので行ってみた

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文政六年(1823年)とある

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岩屋不動

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石像の奥に何やら穴の空いた岩があるので見に行ってみたら何もなかった
先程の石像が納められていたのだろうか

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百度石 ここはどういう場所だったのだろうか

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ルートまで戻ってきた
今日はどんよりと今にも泣き出しそうな空模様で雪がハラハラと。

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カエルか何かか?と思いきや・・・

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猿石だった
飛鳥の猿石と同様に、現在の明日香村平田から掘り出され、
高取城築城の際に石垣材として運ばれる途中にこの場所に置かれたそうである。

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ほどなく「ニノ門跡」に到着。

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左手に黒い池があったので行ってみた

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当時からあったのだろうか、石垣も見られる

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さらに進んで・・
一部、石塁が崩落しかかっている箇所があった

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杉が育ってしまって石塁が隠れてしまっている

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右へ120m逸れると「国見櫓」があるらしい。
またもや120mである。
岩屋不動までの120mで距離感がつかめたので行ってみた。

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あの先端が国見櫓跡だろう

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国見櫓跡

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あいにくの降雪で展望が厳しかった

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ここからは夜景も楽しめるらしいが、夜に来るのは怖そうだ
涼さんのサイトや「関西ナイトハイキング」には掲載が無かった。

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さらにさらに登って行く。

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松ノ門跡 スタート地点付近にあったレプリカの門があった場所だ

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さらに登る・・
攻めるまえに兵力が削がれそうなスケールだ。

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千早門跡 右へ左へと迂回させられる

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広くてスッキリした場所は、右へ行くと壺坂口門、正面が大手門だ。

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いざ大手門へ

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大手門跡と書かれている。

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二ノ丸御殿があったほうへ近づく。

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正面は十三間多門跡
ふと左手を見やると、存在感のある大木があった。

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樹齢数百年はあるだろう

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でらいぞ

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十三間多門跡前へと復帰。

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ここに二ノ丸御殿があったらしい。

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十五間多門跡  さぁ、本丸を目指して!

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門柱でも立てられていたのであろう台座 何やら文字も掘られてそうだ。

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「巽高取 雪かとみれば 雪でござらぬ 土佐の城」と彫られてあった
遠くから高取城を眺めると、しっくいの白壁が山に降り積もった雪と見紛うようだったのだろう

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この上が本丸だ

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チェーンソーアート

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ここにあった切り株を利用して作られたものらしい

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切り株の上に載せられているのではなく、切り出されて一体になっている、と思う

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さらに迂回させられて・・

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岩をかち割った跡

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日の出スポットらしい 大峰方向を望む

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広い・・

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いよいよ本丸へ

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三角点はこの上

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本丸跡から振り返る

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高い・・

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※安全に十分配慮して撮影しております

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そろそろ下山

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クマさん、さよオナラ

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雪が降り荒ぶ

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重機の無い時代、どれくらいの工期がかかったことだろう

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井戸を抱かえこむ木の根

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バックヤードの舗装林道で時短下山

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林道上の最寄りの取り付きから五百羅漢へ

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さらに奥にあるのが先像如来、来迎如来、他にも当時の名残の石仏あり

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舗装路から 壺坂寺を眼下に、晴れていると葛城・二上山が一望できる

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壺阪寺の入口付近からのハイキング道へ

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舗装路を避けて町に入ると、昭和時代の懐かしいような看板などがあったかと思えば
そこはタイムスリップしたかのような世界
そしてここは明治時代か?!

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これは大正時代か昭和初期か?

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こんどは幕末か!
ようやく駐車地に戻ってきてやれやれと思いきや、いきなり辻斬りに出くわす。
「この先通すわけにはいかぬ」と行く手を阻むではないか。

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仕方がないので本気で戦うことになった

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口ほどにもないヤツだった。。

<余談>
壺坂というとまず思い浮かぶ古い記憶がある。
12歳年下の妹が小学生だった頃、アトピーでとても苦しんでいた。
その頃に父親が若くして亡くなったため、
車で送迎するような用事は自分しかおらず母親からよく頼まれた。
ネットなどの情報収集手段も無い時代にどうやって知ったのか
皮膚病で有名な医者といえば壺坂のそこだったらしい。
当時の自分は、まだ車の運転も不慣れで水越トンネルなど道路も整備されておらず
紙地図を頼りに水越峠か竹内峠を越えて壺坂まで行くことが結構な遠出だった。
到着してからも全国から尋ねてこられる患者さんたちの待ち行列で何時間も待たされたのは覚えている。
通った記憶が残ってるくらいなので一度や二度ではなったように思う。
ちなみに妹のアトピーは今では寛解している。
今回の高取城趾を城下町から歩く起点が壺坂だったことから、
名前も忘れたけどあの頃の医院はもう残ってないだろうなぁとダメ元で探してみたら
途中、侍に行く手を阻まれるなどの困難?の果てについに発見!
感慨無量だった。
やはりこの城下町は時間が止まっているとしか思えない。

20190112-112.jpg
25年ほど経た今もまだあった石川醫院  ※醫院=医院の旧字体
[ 2019/01/14 21:59 ] その他の山 | TB(0) |   コメント(22)
確かに山城に行ってみると大きな石をどうやって運んだのかって
考えますね。当たり前ですけど昔はほとんどが人力ですからね。
ご存知の通りこの高取城址は紅葉の頃は大人気です。
キバラーさんが登山だけじゃなくて
剣術もできるなんて知りせんでした。( ゚Д゚)
[ 2019/01/15 01:16 ] [ 編集 ]
高取城は素晴らしい所ですねぇ~(^^♪僕の何度も行きました何時も電車で壺坂駅から歩き、お里沢市で有名な壺坂寺にも立寄りながら行きました。帰りには猿石から明日香に下って散策した事もありました。紅葉の時期も好いですょ(^^♪
[ 2019/01/15 15:05 ] [ 編集 ]
辻切の3ショット最高にカッコイイ。

こんなの大好き・・・すきやわ~。。
[ 2019/01/15 19:34 ] [ 編集 ]
しばしご無沙汰しております。
あの石垣の石ひとつですら一人では持ち上げれない重さなのに、いったどうやって?と思いますね。
城の歴史より築城の工法のほうが興味ありますわ。
紅葉の頃がいかほどの賑わいなのか、orisさんの過去レコなども拝見させていただきます。
(予習してなかったもので)
剣術は敵から習ったでござる。
[ 2019/01/15 20:37 ] [ 編集 ]
たいへんご無沙汰しております。
kosiziさんは何度も行かれたのですね。
今では比較的近いほうなのに車では現在でもややこしく、電車では行きにくい、しかし古き良き町並みが残っていたりするのがどこか懐かしさを感じますね。
「お里沢市」なんて知りませんでした。勉強になります。
紅葉の時期、こんどは狙ってみたいです。
それにしてもkosiziさんが金剛山にすっかりいらっしゃらなくなって寂しいです。
[ 2019/01/15 20:37 ] [ 編集 ]
そ、そこですかぁ~。
遊び心が好きなのでけっこうノリは良いほうです。
(`ヘ´)エッヘン
[ 2019/01/15 20:38 ] [ 編集 ]
キバラーさん、こんにちわ。ご無沙汰をしています。
 高取山(高取城跡)、自宅からは近いので何時でも行けるわ、と敬遠しとりました。 へっぽこさんのYou tube 動画(実は先にこちらを見た)に続いて、キバラーさんも同じく師走に‼奇遇でしたね✨こうなると、俄然訪れてみたくなりました‼(笑)。 石畳の土佐街道筋は、3月になると🎎町屋の雛巡りが行われるので、その時期でも楽しいかな?
 余談の、ご家族事情に食い付いたのは、私だけでしょうか?(石川医院、昔から超有名なひふ科ですね~)

また山でお会いしましょう❗
[ 2019/01/16 07:14 ] [ 編集 ]
居城があったお山巡りも良いかも。^^/
今回のように城下町風情が残っておればなおさらですね。

最後の「おち」、ナイスです!^^;
「辻斬り」サービス、受けてみたい!!!
[ 2019/01/16 11:55 ] [ 編集 ]
うめそいさん、こちらこそご無沙汰しております。
ご自宅、そういえば職場よりお近くでしたね。
うめそいさんも未踏とは驚きです。
私なんか遅ればせながらって感じに思ってました。
標高が二上山よりちょっと高いくらいなので、真夏はともかく、秋冬向きだなと思っていたのですが、冬だと近場の金剛山のほうへ足へ向いてしまいなかなか行く動機につながりませんでした。
今回も二座目として冷やかし程度に行ったのがきっかけで、良い意味で期待を裏切られた次第です。
町家の雛めぐりですか。
調べてみたら城下町では年中いろんなイベントがあるみたいですね。
ほんとに灯台下暗しでした。
また訪れたいと思います。
余談に反応していただきありがとうございます。
石川医院、やはり有名でしたか。
昔から変わらぬ佇まい、良いですね。
またうめそいさんにお会いできるのを楽しみにしております。
お醤油もいただきに参ります。
[ 2019/01/16 19:58 ] [ 編集 ]
こんばんは。
居城って言葉、知りませんでしたわ。
まさかこんな近くで、未だに城下町風情、昭和レトロが残っているとはうれしい誤算でした。
最後のオチ、とんとんさんが好きそうなノリでしょ。
とんとんさんの自撮りポーズの隠れファンなんです。
いやはや楽しいです。
辻斬りはサービスでもなければ中の人でもなく、観光協会の方でもなく、通りすがりのお侍さんでした。
ただの一般の方なんですよ。
おそらく趣味であのような格好をして、あのあたりをうろつかれてるようでした。
急いでいたので詳しい話はしておりません。
あの日は天気もイマイチで道行く人もなく、暇そうにブラブラされておられて、何度も出くわしましたわ。
(≧∇≦)
ノリの良い楽しい方だったのでまたお会いしたいですわ。
あ、でも斬り倒したのでもうこの世には居ませんが。
[ 2019/01/16 19:59 ] [ 編集 ]
謎の二座目は高取城でしたか。思わず引き込まれるように写真を拝見し、文章を熟読しました。歩いたことはありませんが、巨大な要塞の様なこの山城の存在は知っていました。司馬遼太郎の短編小説「おお、大砲」に登場するのと、彼のエッセー集「街道をゆく」の7巻で自ら壷阪寺の方からこの城を歩いた時のことが書かれているのです。高取城が歴史に登場するのは、幕末「天誅組の変」で、天誅組の浪士たちが幕府の譜代大名植村氏の守る高取城を攻めたことからです。高取藩の侍たちはまるで木こりのような山暮らしを続けながら、徳川氏から預かった時代遅れの山城を、いざという時のために守り続けたせいか、古武士のような気風を失わず、天誅組の浪士たちをみごと撃退したそうです。司馬遼太郎は高取城を歩いた時の印象をこう言っています。
「高取城は、石垣しか残っていないのが、かえって蒼古としていていい。その石垣も、数が多く、種類も多いのである。登るにしたがって、横あいから石塁があらわれ、さらに登れば正面から大石塁があらわれるといったぐあいで、まことに重畳としている。それが、自然林と化した森の中に苔むしつつ遺っているさまは、最初にここにきたとき、大げさにいえば最初にアンコールワットに入った人の気持ちがすこしわかるような一種のそらおそろしさを感じた。」
テレビの特番、私も見ました。キバラーさんの記事で、めちゃめちゃ興味をそそられ、昔読んだ本を読み返した次第です。
[ 2019/01/16 20:10 ] [ 編集 ]
熱いコメントありがとうございます。
また、拙い文章を熟読いただいたということで、読み返してみたら勢いで書いてしまっていたので誤字脱字だらけでさっそく修正いたしました。
arajinさんはきっと個性的な純粋の山を期待されているだろう、それが山城とはがっかりされているだろうなと思っていましただけにうれしい誤算?でした。
私のほうもarajinさんがたっぷり書いていただいたコメントを何度も熟読させていただき、紹介されている本にも興味持ちましたので、さっそく入手して読んでみたいと思います。
とても興味深い内容で、非常に勉強になりました。
ありがとうございます。
まさに書いていただいてるとおりの印象でした。
探せばあの山にはまだいろんな遺構が見つかるかもしれません。
二度目の今回もさらに衝撃的でした。
城下町も素敵でした。
[ 2019/01/16 21:25 ] [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[ 2019/01/16 22:20 ] [ 編集 ]
おおよそ推測されてらっしゃいましたか。
そうなんですよ。
もっと注目されるべき遺構ですね。
あの一般の人のような人に会えるかどうかはわからないですねぇ。
[ 2019/01/17 22:00 ] [ 編集 ]
早くにお父様を亡くされたってお母さまにキバラーさんに頼る気持ちが何となく分かるような気がします。
(ちなみに我が家も短命家系みたい)
このような巨大な山城があったとなれば是か非かは別として今後長い歴史の中で再建というような話も出て来るかも知れませんね?
[ 2019/01/20 11:05 ] [ 編集 ]
すぎちゃん、がんばって長生きしてください!(^^)
僕はなんとか親父の没年齢を越えましたんで、今はオマケの人生です。\(^o^)/
そう、こんな立派な山城跡、自然に風化するがままで良いのかと思うほど手付かずでした。
再建すると一大観光地になりそうです。
[ 2019/01/21 06:29 ] [ 編集 ]
キバラーさんの感想とほぼ同じことを、昔読んだ本の中で作家の司馬遼太郎が語っていたのです。金剛山の二座目に軽い気持ちで考えておられたキバラーさんが、もう一度仕切り直しを余儀なくされるほどの衝撃を与えた高取城、これは本物だと私は感じました。居ても立ってもいられず、昨日の日曜日、氷雨のそぼ降る近鉄壺阪山の駅を下り立ち、高取城へと向かいました。
雨とガスに包まれた土佐の城下と高取城への山道は、最初、平凡な植林の中に半ば朽ちかけた小規模な石塁が見え隠れするだけでしたが、大手門を入った辺りから様相が一変しました。樹齢数百年の杉の巨木や広葉樹の大木が、あちこちに林立する中に、苔むした巨大な石垣が姿を現したのです。冷たい雨の降りしきるガスの古城は、周囲に林立する巨木や大木に囲まれて、厳かないにしえの神殿を思わせるような佇まいで、ひっそりとそこに在りました。「来てよかった」という満足感とともに、キバラーさんと同じ感動を味わった気がしました。ありがとうございました。
[ 2019/01/21 20:41 ] [ 編集 ]
さっそく行って来られましたか!
土曜日ならピーカンで訪れる人も多く、また違った印象だったことでしょうね。
私の一度目は、夕方の黄金色の陽を浴びた城跡でしたが、二度目は惜しいかな小雪混じりの雨。
しかし、同じような天候下で静かに佇む侘び寂びの情景でarajinさんもご覧になられたご様子で、arajinさんの熱いコメントに知られざる高取城の歴史に二度目の感動をいただきました。
さすが教師されてるだけあって文章表現がお上手です。
特に関心を持ったのは「高取藩の侍たちはまるで木こりのような山暮らしを続けながら、徳川氏から預かった時代遅れの山城を、いざという時のために守り続けた」という部分です。
威風堂々とした天守のある城が建つイメージとは異なる本丸の造り、なるほど時代遅れだったんだ。それでも大切に守り続けた」というところが興味深いです。
紹介いただいた本を読むのを楽しみにしております。
ありがとうございます。
[ 2019/01/21 22:11 ] [ 編集 ]
 山に行かなくなって ご無沙汰しております。 もう 忘れたって(*_*)。(^^♪
 髙取城CG再現図と水車を見て 「お城と水車を描いた絵があった」のを思い出しました。西宮市大谷記念美術館のHPでした。 絵だけで説明がないので週末 見てきました。    タイトルは「淀城」大正時代の日本画でした。明治時代の廃城で 城はなくなっていたので 調査して描いたそうです。
 「淀城」。この大きな水車は 城の名物。  幕末、大阪から攻め上った新撰組などの幕府軍と京都から迎え撃つ官軍との最初の戦「鳥羽、伏見の戦い」で、破れた幕府軍はこの「淀城」で態勢立て直しを。しかし淀城の城主で幕府の老中も務める藩主は 江戸にいて不在。留守居役は天下の大勢を知ってか 門を固く閉ざしたままでした。やむなく 城下町に火を放って大阪に敗走したというエピソードも。
 髙取城は、一度見ました。 4月頃で、当時の画像を見たら 植林地のヤマフジやツツジが見頃で城跡も深緑に覆われていました。 あのお医者さんも門構えが立派で 画像が数枚ありました。 囲いの塀屋根の瓦の家紋もあって、当時は知らなかったのですが あれは「笹竜胆」。 源氏の家紋でした。  史跡や古い町は ホント色々ありますね。 これからもよろしく
[ 2019/01/22 19:04 ] [ 編集 ]
たいへんご無沙汰しております。
お元気でいらっしゃいましたか。
金剛山でお見かけしなくなって久しいのですが、時々思い出しておりました。
「淀城」、京都府京都市伏見区淀本町にあった日本の城だそうですね。
伏見というと伏見稲荷しか思いつきませんが、なるほど今でもあんなところに淀城跡が残っているのですね。
平地だとお堀を外的の障害物とするのが一般的のようで、山城とは異なっていて興味深い感じです。
浪さんもいろいろと歴史にお詳しそうですね。
勉強になる情報をありがとうございます。
また金剛山にも足を向けてください。
お待ちしております。
[ 2019/01/22 20:38 ] [ 編集 ]
キバラーさん、こんばんはー
山登りをやる前はお城めぐりをやっていて高取城は何度も訪れましたね。
毎年11月に「たかとりお城祭り」が開催されていて、武者行列やせんとくんや火縄銃や殺陣の実演やら地元の人たちの出店やらでかなり賑わっていました。
こういう記事を見るとお城マニアの血が騒ぎます!
ウンチクは控えておきますが、観光案内所?で放映されていたGCの動画で激酔いした記憶があります(笑)
[ 2019/01/24 23:16 ] [ 編集 ]
れんまるさん、お城マニアだったのですね。
意外です。
ぜひそのウンチクを聞かせていただきたいですわ。
ちゃんと説明を聞くとより興味をそそられるってことがよくありますので。
壺坂のお城まつりという賑わう祭りがあるのですね。
ぜひそういうイベントがあるときに再訪したいです。
観光案内所には入らなかったので観れなくて残念です。
[ 2019/01/25 22:27 ] [ 編集 ]
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