生駒山系に連なる金剛・葛城山系の主峰『金剛山』から始めた山登り。その時々で気になる山へ、気の向くままに・・・

六甲山と外国人 

六甲山系は金剛山の半分ほどの標高の山の集合体であり、
単にひとつのピークを目指す登山とは違ってバリエーションと変化に富んでいる。
山と高原地図掲載の一般道だけでも複雑なのに、地図に無いマイナールートなどを含めると
無限の組み合わせができてしまうんじゃないかと思うほどだ。
六甲山を日常的に登っている人は、他のどの山にでも対応できるのではないかと思えてくる。
また、公共交通機関を使って登りに行くと、元の場所に戻らなくても良いというだけでなく、
その時の気分と体調に合わせて自由にコースを組み合わせ、
やめたくなったら、いつ、どこでエスケープしても交通の便には困らないという懐の深さ。
それらは日本人のみならず外国人にも愛されてきたようだ。
キャッスルウォール、イタリアンリッジ、ブラックフェースといったクライミングスポットや
トゥエンティクロス、カスケードバレー、アイスロードなど登山道にまで付けられたカタカナ文字。
元々六甲山はどんな山だったのでしょうか。

以下のような新聞記事がありました。

はげ山だった六甲山 先人が築いた“人工の森”
2011/10/24 産経新聞 大阪夕刊 9ページより引用

明治初年、六甲山ははげ山だった。今、私たちが市街地から眺める緑豊かな山容からは想像もできない。
しかし明治14年、わが国を代表する植物学者、牧野富太郎博士は、土佐から初めて東京へ行く途中、
六甲山を見て、随想『東京への初旅』に書いている。
〈私は瀬戸内海の海上から六甲の禿山(はげやま)を見て、びっくりした。はじめは雪が積もっているのかと思った〉と。
荒廃した主な原因は、安土桃山時代に豊臣秀吉が大坂城築城のために大量の大木・石材を伐り出し、
その見返りに「草木採取勝手たるべし」と布令したことによるといわれている。
明治33年、コレラなどの伝染病の流行から上質な水を供給する目的で、六甲山には布引貯水池が建設されたが、
大雨のたびに流入する土砂に悩まされ、町も度重なる洪水に大きな被害を受けていた。
それで水源涵養(すいげんかんよう)と砂防のための植林が明治35年、
六甲山系の一角をなす再度山(ふたたびさん)を中心とする地域で始められた。
したがって、今、私たちが登り、眺める六甲山は、先人たちが岩と砂の山に万里の長城のような砂止めの石垣を築き、
一本いっぽん苗木を植えてきた、人工の森なのだ。
                 □ 
 初植林から約半世紀、昭和初期の六甲山や日本アルプスを舞台に、新田次郎は単独行の登山家、
加藤文太郎をモデルに『孤高の人』を書いた。
その冒頭は、神戸市街地を望む高取山の山頂から始まる。
彼は、神戸の町から見た六甲山の春秋を〈色が踊る〉緑豊かな山々として、会話の中で登場人物に語らせている。
ところで、六甲山にはトゥエンティクロス、シュラインロード、シェールロード、カスケードバレー、
アイスロードなど横文字の登山道が多い。神戸居留地の外国人がつけた名前だ。
彼らは出勤前に毎朝、背山(はいざん)に登り、休みの日はハイキングや軽い登山をするなど
季節の折おりにレクリエーションを楽しんだ。
その外国人のまねをして登ったのが、今日でも市民の間に盛んな「毎日登山」だ。
「毎日登山発祥の地」の碑のある再度山の善助茶屋(現在は碑のみ)では音楽を聴き、
紅茶やトーストなど欧風の朝食も用意されていたと聞く。
その辺に庶民の隠された楽しみがあったのかもしれない。
また陳舜臣の『神戸ものがたり』の「布引と六甲」には、外国人の毎日登山の「習慣」と、
隠された本当の楽しみとして布引茶屋のスリーグレーセス(三美人姉妹)に会うために
毎朝早起きして山に登ったという恋物語が紹介されていておもしろい。
欧州人は日常を巧みに楽しみに変えようとする。
私たちも人生を謳歌(おうか)するために、人を恋し、山に登ろう。
しかし、六甲山は油断したら、怖い山だ。日常鍛錬や準備は怠りなく楽しもう。
                 □ 
 今年もいよいよ紅葉の季節。
六甲山の紅葉は山本周五郎の『須磨寺付近』や山崎豊子の『華麗なる一族』にも出てくるが、
私は紅葉の中の「湖」をお薦めしたい。
生田川の源流の「獺(かわうそ)池」や摩耶山に近い「穂高湖」。
保久良山から金鳥山を経てその奥の風吹岩近くにある「雄池」などは、“隠れ湖”のような感じがして、
紅葉を映した静寂の中で、ほっとしたひとときを過ごせると思う。
 緑豊かな六甲山にする植林は、今年で約110年が経過したが、
最後にこの努力は国、兵庫県、神戸市など行政の力だけでなく、「毎日登山会」の植林活動など、
山を愛する多くの市民が参加して行われてきたことを書いておきたい。
まさに六甲山は市民とともにある「ふるさとの山」だ。
 しかし、人工の森が安定するには、人の手を借りながらあと100年かかる。
阪神・淡路大震災でも厳然と存在し、被災者の心のよりどころとなった六甲山を立派に
子孫に引き継いでいくことが、今を生きる私たちの務めだと思う。
Check [ 2011/12/14 22:16 ] その他 | TB(0) |   コメント(2)
風吹岩裏の雄池(横池)は真冬には凍ってしまい、別世界の雰囲気です。
また、先日、お昼ごはんを食べた摩耶山の『掬星台』は戦時中には高射砲陣地だったところだと言われています。
山歩きを楽しめる平和な世の中であり続けてほしいものです。

[ 2011/12/17 19:52 ] [ 編集 ]
雄池というのは横池の事だったんですね。
あの池は池というより湖のようでした。
どこかアルプスの山奥という雰囲気で良かったです。
また行ってみたいです。
掬星台も昔はそんなところだったんですね。
参考になりました。
[ 2011/12/19 23:40 ] [ 編集 ]
コメントの投稿













管理者(キバラー)だけに読んでもらう

金剛山頂の気温

金剛山の一日  
このブログ内の検索
 
更新日カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
プロフィール
こんちくわ。
キバラー
と申します。
ほぼ毎週金剛山をメインで
登っています。
飽きっぽいのか色々やってきて
自転車→オフロードバイク→
大型バイク→登山へと変化し、
その間、
テニスやスキーにハマった数年間。
キャンプは今でも細々と。
今は山に全力で年中夢中
ヤマ仲間
バックナンバー
月別アーカイブ